生前とは?輪廻転生とは?

なんか宗教問答みたいなタイトルですが、きっかけはひろくん(10)の一言でした。

私はイタリアンが大好きで、家でもスパゲッティを作ることが多い。
その日の夕飯も私が作ったスパゲッティだった。

ひろくん「お父さん、スパゲッティ好きだなぁ、生前イタリア人だったんじゃないの?」

いや、生前じゃなくて、前世な、、、
俺、まだ生きてるし、、、


ひろくん「だって、生まれる前だから『生前』じゃん。」

まぁ、確かに、、、

で、生前についてちょっと調べてみたのですが、

「死後」の反対だから「生前」という言葉遊び的な説。
「前の生」の漢語表現という説。
仏教用語からきている、浄土に生まれる前という説。

などが出てきました。
また、古語辞典にも今日使われているのと同じ意味で載っているようなので、近代の誤用によるものではないようですね。

そして、命、魂ということについて考察するもう一つのきっかけはFacebookで友人が紹介していたこの動画。



「速度ゆるめ墜落してその1000万度でうっとり溶けて消えてやる」というくだりがお気に入りとのこと。

1000万℃というのは太陽の中心付近の温度だから、まぁ、そこまで到達するのは色々困難が有るとは思うが、表面でも6000℃。
そんな温度になったら溶けるっていうか燃えるんじゃない?
って思うのが酸素が豊富な地球のそれも地上に住む地球人の悪い癖。

もし、単身太陽に突っ込むとか、地球ごと太陽に突っ込むとかした場合、燃えるというより乾留に近い状態になるのではないだろうか。
人間は炭素の量が多いから、真っ黒い炭になり、昇華していく。

だから、溶けるという表現の方が正しいのかもしれない。

そして、やがて太陽の寿命も尽きれば構成するガスをまき散らしながら白色矮星へとなっていく。

まき散らされたガスはいずれどこかの星系を構成する元素となり運が良ければ惑星の一部となり、もっと運が良ければそこの知的生命体の一部になれるかもしれない。

ああ、なんと壮大な輪廻転生。

動画を紹介してくれた友人には、「また同じ星の同じ時代に生まれたらお会いしましょう」と言っておいたが、、、

まてよ、今たまたま私を構成している原子がどこかの星の知的生命体を構成する原子となったところで、それは私なのだろうか。

いや、そんな壮大なスケールではなくても、今も私の体の原子たちはどんどん入れ替わっている。
ほんの数日前まで豚だった原子たちが今私の体を構成している。
ならば私は豚なのか、、、

私の呼気や排泄物として出て行ったかつて私だった原子たちを取り込んだ微生物や植物は私なのか、、、

そして、人間の体の原子は2年ほどで全部入れ替わるという。
2年以上顔を合わせていない、知人友人など何人もいるが、彼らはもはや私の知る知人友人ではないのか。

そうか、私と言う存在は脳の中で走るソフトウェアにすぎないのか。

生物の体と言うのは細胞単位で活線挿抜のできるフォールトトレラント性能の優れたコンピュータシステムみたいなもの。
部品一つ一つの寿命は短くても、老朽した部品を捨てて新たな部品を自ら作り出してはめ込むことにより、システムとして長い寿命を得ている。

変わらないのは走っているソフトウェアのみ。
まぁ、それも外部からの入力次第で、大きくアルゴリズムが変わることもあるが、OS的な根っこのところはそう大きくは変わらないだろう。

10年ぶりとかくらいに再会した友人を見て、外装の老朽ぶりに驚きつつも、会話を重ねていくうちにソフトウエアが昔と変わっていないことを発見して、「お前、変わんないなぁ、、」と安心したりする。

結局、私を構成する原子がどこから来ようが、どこへ行こうが、私と言う自我はここにしかいない。
私の体が自我と言うソフトウェアを実行できなくなるその日まで、自我を楽しみ、友人たちの自我との交流を楽しんでいきたい。

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