3月11日

昨日の夜から徹夜のお仕事で朝帰宅。
昼まで寝て昼食後ひろくんとホワイトデーの買い物へ。
近くの郊外型スーパーでも売っているだろうけど、有名高級ブランドも扱っている、5kmほど先のデパートまで自転車で行くことにした。
一日に60km走ったことのあるひろくんには何という事もない距離。

子供を連れていると広い歩道のある大通りより、交通量の少ない細い道のほうが走りやすいことに気付く。
今度からはそういう道を選ぼう。

帰りに、交通公園のようなところを通りかかり記念写真。

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ここで信号のある交差点での2段階右折を教えて、無事帰宅。

そういえば、買い物中にあの地震が起きた時刻を迎えました。

あの日はもちろん会社で仕事中。
長く激しい初期微動からこの地震は大きいと予感した直後、ゆさゆさと揺さぶられるような揺れ。
キャスター付きの椅子は不安定で机にしがみつく。
揺れの方向はちょうど机の引き出しの開け閉め方向で、これも押さえていないと引き出しが暴れる。
もちろん、今までに体験したこともないような揺れだった。
揺れが収まった後、インターネットを検索していた人が、最大震度7が記録されたことを伝える。

震度7ってなにそれ、シャレになってないじゃない。
シャレになっていないどころではないことはもちろんこのときは知らなかった。

とりあえず、5時半まで通常通り業務を続けるが、錯覚なのか、余震なのか、ビルの構造上の揺れなのか、いつまでもふわふわと揺れている感じが続いた。

そこかしこで携帯電話のワンセグTVを見ている。

5時半になって、交通状況を確認すると、JR線は全線で不通のまま。
やむなく会社に陣取って様子を見ることにした。

とりあえず食料を確保しようと会社の自動販売機でパンを買い込む。

やがて日が暮れてくる。

上司がコンビニに買い出しに行くが、こんなものしかなかったと、お菓子類を共有する。

当分電車は動きそうにないので身の振り方を考える。
自転車乗りの悪い癖で、20kmや30kmは歩ける距離と思ってしまう。
実際、田町から大塚まで歩いたことがある。
3,4時間かかったと思うが、距離にして10kmから15kmというところだろう。
その倍くらいでうちに帰りつける、道もわかると思ったが、一駅隣に勤めている妻とメールで連絡を取ると、当然そんな案は却下された。

ツイッターで情報を仕入れると、無暗に移動するなとのお上からのお達しがあるようで、ひろくんも義父母が保護してくれたとのことで、とりあえず夜が明けるまで様子を見ることにした。

さて、震源近くはどんなことになっているのだろうとインターネットで情報を収集すると、激しく燃え盛る千葉のコンビナートの写真が目に入る。
いったい何が起きているのか映像を見せられても理解できない。

さらにニュースを追っていると、数百人の遺体が発見されたというようなニュースも入ってくる。
それってどんな光景なのか、想像もつかない。

どんどんと数を増やしていく犠牲者の数。
桁がどんどんと増えていく。
「おいおい、勘弁してくれよ」
というのが感想だった。

夜更けになっても鉄道の復旧は遅々としている。
多くの人が自宅を目指して様々な方法で移動しているらしい。

何か自分にできることはないか。
移動している人たちがほしいのは何か。
情報だ。

地下鉄などの復旧状況をインターネットで調べ、ツイッターで発信した。
私のフォロアーはその当時100人行っていたかどうかという数だったか、その中の一人の役にでも立てば良いし、フォロアーさんがリツイートしてくれればもっと多くの人の役に立てるだろう。

一晩中交通情報を流していた。

やがて、ビルの防災センターから食料と水を配給するという事で13階から1階まで階段で降り、同僚や上司とともに2リッターのミネラルウォーターを2本かついでまた13階まで上がる。
く、計4リッターの水よりも30kgぐらいの脂肪が重い、、、

やがて夜が明ける。

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会社の自動販売機を見てみると、

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見事にから。

JRもどうにかこうにか動き出したようなので、妻と連絡を取り合い、とりあえず地下鉄を使って自宅方面へ向かう。
途中、私の父母の隣に住む義兄とツイッターのDMで連絡が取れて、父母と姉一家の無事を知る。

自宅最寄駅まであと3駅というところまでは行けたが、そこから先へ行く鉄道がない。
タクシーに乗ろうという事で、3,40分並んでようやく乗ったタクシーに行き先を告げると2,3時間かかるぞと脅されてあきらめる。
結局バスを2路線乗り継いで何とか自宅最寄り駅まで到達。

自宅内がどんなことになっているか最低の想定から、最悪の想定までしたが、意外にも被害は少なく、積んであったCDが崩れてケースが一つ割れた程度で済んだ。

ひろくんも無事に回収。
さすがに精神的ショックがあったようで、夕べは吐いてしまったらしい。

TVをつけると、信じられないような津波の映像。
相変わらず数を増やしていく犠牲者。
みなさんご存知の通りこの状況は何日も続き、いったいいつ事態が収拾されるのか想像もつかないほどだった。

そして、原発の惨状が明らかになっていく。

原発の賛否について私ははっきりとした態度を示していなかったし、興味すら持っていなかった。

事故直後、このような状況が想定されていたのかいなかったのかという事が取りざたされた。
こんな、想像にも難いような事態が起こった後では何とでも言えるし、想定だけならいくらでもできる。
今回のような大地震。
突然、原発直下で噴火が起きることも絶対にないとは言えない。
もしかしたら巨大隕石が直撃するかもしれない。

でも、そんなことまで想定して対策をするのは不可能に近いだろう。
そこまで極端ではなくても、どこかで金銭面から線を引く必要がある。

それが、想定した時には万に一つも起きないようなことでも、自然はいつかそれを超えてくる。

問題にすべきは、その時に、半径何十キロにもわたってそこに人が住めなくなったり、多くの人が命や健康の危険を冒して対策しなければいけないような技術を使っていいのかということではないだろうか。

私はそれには自信を持って否と答えることにした。

そんな私の小さな決意も含めて、多くの事がこの国で変わった。
単に、被災地の人たちだけでない、国すらも揺るがした地震だったのだ。

それから一年。
復興はまだまだ。
それもそうだろう、家族の命や財産だけではない。
住み慣れた町ごと押し流されてどうしろというのだろう。
若い人はまだいい。
リタイヤ寸前だったような人に今更0からどう立ち直れというのか。
仮設住宅で引きこもってしまう人が出るのも無理もなかろう。

そういう人たちを救うために国というものはあるのだろう。
それが動物と人との違いだろう。
それが絆という事だろう。

助け合って生きていこう、これからも。

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